以前書き綴った「オペラってなにもの」、「観客層」で、オペラには作品のレベルでの音楽と台本、上演レベルでの指揮者と演出家、観客層においてオペラにおける音楽作品の魅力としてか、舞台造形の魅力としてか、それらの三つのレベルでどちらを主として捉えるか、と言ったこれらの観点すべてに二つの大きな視点が存在すると述べてきた。簡単に言ってしまえば、オペラを音楽として捉えるのか、演劇として捉えるのか、この二つの視点のせめぎ合いがオペラを複雑なものに仕上げつつも、あらゆる視点からの魅力を発見できる他では味わえないエンターテインメントとして成り立っている理由である、とも述べてきた。
ここで、少しばかり歴史を紐解いてみたい。
そもそもオペラというジャンルは、クラシック音楽の中でも成立し形成過程において、ある種の特異性が存在している。それは、そもそもオペラが何かしらの舞台での上演を前提として作られている点において、他の器楽曲、声楽曲などと明らかに作曲過程が異なっている。その上演の目的は古くは王侯貴族の権勢を国内外に見せつけるために行われる行事となっていた。16世紀末から17世紀初頭のイタリアのフィレンツェやローマを中心としてそのため王侯貴族の庇護のもとに作曲家が仕え壮大で華やかな作品を生み出し豪華な舞台が上演された。その時代のものは、言葉に即して音楽が綴られ、音楽というより語りに節がついたようなものであった。歌のテキストがはっきり聞き取れることが最も重要視されていたのである。その後時をそれほど待たずとしてヴェネツィアで公衆劇場が作られオペラは民衆のものとなる。するとオペラは国威発揚が目的ではなくなり、如何に民衆からの人気、すなわち経済的利益を得られるかを目的としていくようになる。当時の観光資源の見世物としても発展していった。内容的にも、起伏の少ない語り調の旋律から、より音楽的にメロディアスな旋律が好まれ、多少物語が荒唐無稽なものであってもより人々の心に直接訴えかけるエンターテイメントとしての道を進んでいった。
時代が進み19世紀になると、ワーグナーのように自身で台本を作成し、ドラマと音楽の一体化、総合芸術としてのオペラを目指す作曲家が現れる。一方ドラマとの一体化を目指しつつも、声の魅力を充分に聴かせる音楽を書き続けたヴェルディがイタリアオペラの金字塔を打ち立てた。
このように、オペラにはそもそも成立当初から文学やドラマ性を重視した捉え方と、より音楽的な感性に訴える要素、すなわち超絶技巧の声の魅力や繰り返しのある楽曲構造の隆盛等、テキストと音楽のせめぎ合いの中で育っていったと言えるのである。
音楽と台本、指揮者と演出家、旋律や声の魅力なのか、深淵なドラマ構造なのか、この二つの要素の対立と融合のバランスの中で、オペラのレパートリーの数々が生まれっていったのである。
私のオペラのとらえ方はこの音楽と台本についてのせめぎ合いを土台として続いていく。